「好奇心に素直になって人生変わった」当ブログ『One Step』運営者おおつゆうとのプロフィール

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初めまして!当ブログ『One Step』を運営する おおつゆうと(@yut0425) のプロフィール記事です!

 

自称進学校の高校に通いながらも、学校内で唯一ぼくだけ進学をせず、フリーター経験を経て現在があります。

そして、2018年現在は都内の飲食店で働く料理人をしています。そんなぼくがなぜ料理人を目指し、そしてなぜこのブログを運営しているのか。

23年間の人生を振り返りながら、これまでの自分のルーツを詳しく書いていきます。

簡単なプロフィール

名前:大津 維斗 (おおつ ゆうと)

1994年4月25日に、群馬県高崎市で生まれ。

小学3年生の頃から3つ上の姉と母子家庭で育ち、地元の中学に進学。

高校は自称進学校に通いながらも、小さな頃からの夢である「料理人」の世界を少しでも感じたくて、割烹料理屋にてアルバイトをする日々を送る。

調理師専門学校には行かずに、フリーターになる選択をする。

フリーター期間中に、好奇心を抑えられずに東南アジアを中心に旅をする。

帰国後、地元を飛び出して千葉の田舎で、仕事に対して多くの選択肢を知る。

現在、都内の飲食店にて働いている。

 

自称進学校に通った少年は、進学せずにフリーターになった

地元群馬県高崎市にある自称進学校の高校に通っていました。「自称」というだけあって、けっして有名大学にバンバン進学する人がいるわけではないです。笑

でも、偏差値的には県内では中の上で、そんな高校でありながらも、ぼくの学力はざっくり真ん中あたりといった感じ。大学に行こうと思えば行ける学力はあったと思います。

 

じゃあ、なんで進学をしなかったのか。

それは、小さな頃からヤリタイコトがあったから。そのヤリタイコトをやるには進学する必要がなかったから。

 

今でも覚えてます。

ある日の昼休み、体育館でセンター試験の説明会があるために、クラスのみんなはもちろんのこと、学年ほとんどの人がいなくなりました。教室でぼっち飯をするぼくを他クラスの人が廊下を通る度に心配そうな目でみてくるのです。

あれは、結構こたえました。

 

 

自分の中で揺るぎないヤリタイコトがあったのに、自分だけがみんなと違う選択をするということ。そのヤリタイコトは趣味としてもできるし、やっぱりみんなと同じように大学に進学しようかなって悩んだ時期もありました。

でも、途中で気づいたんですよね。「あ、流されてる。同調圧力に負けてる。」って。そこでなんとか踏みとどまることができて、進学はしませんでした。

 

そして、フリーターになりました。

ん?フリーター?踏みとどまらない方が良かったんじゃない?って感じですよね。笑
でも、フリーターになったのにはワケがあります。

 

ぼくは小さい頃から『料理人』になりたかったんですよね。そう、これがぼくの小さな頃からのヤリタイコト。小学校の卒業文集には将来の夢は料理人です!って書いていたくらい。

 

高校1年の初めから、友達のお父さんが経営する割烹料理屋でアルバイトとして働かせてもらいました。予定がない日はほぼ毎日アルバイトです。このアルバイトが本当に楽しくて楽しくて。

小さな頃から憧れていたプロの料理人の近くで働けて、その働きぶりをこの目で見れる喜びは計り知れたものじゃありません。

在学中はひたすらバイトをして、卒業後には『調理師専門学校』に行こうと思っていました。

 

でも、ある日料理長に言われたんです。

「専門なんか行っても意味ないぞ。本当に料理で食って行きたかったら、いち早く現場に入れ。お金を払って料理を勉強するくらいなら、この店で給料をもらいながら料理を学んだ方が良いと思わないか?」

なんだか頭をガツンと殴られた感じでしたね。

専門に進学するのが当たり前だと思っていた考えは一気に崩れ去って、高校卒業後はここで働こうと決意しました。

 

 

あれ?じゃあ、就職じゃなくて、なんでフリーター?って思いますよね。笑

正直に言いますね。

もっともっと遊びたかったんだもん!!!笑

だって、18歳そこそこのガキが、もしも飲食業界に身を固めちゃったとしたらクソつまんない人間になる自信しかありませんでした。(周りが大学生だったから、自分だけ働いていたら耐えられないと思ったのもでかい)

そんなこんなで、ぼくはフリーターとして約3年間過ごすことになります。

 

今思い返すと、この選択は当時の自分を褒めちぎりたいくらいのナイスな判断でした。フリーターではなくて、社会人として正社員になっていたとしたら、この先の自分の人生は全く違うものになっていましたから。

 

ここまで見るみると、周りに流されずにヤリタイコトをやってて自分の芯を持っているヤツだと感じる人もいるかもしれません。

でも、ヤリタイコトをヤルと意識的に決めたのは幼少期に大きなキッカケがあります。

 

好奇心にフタをして、ヤリタイコトができなかった少年期

小学3年生まで、群馬県明和町という田んぼだらけの田舎で過ごしました。

友達と一緒に近所の田んぼに勝手に入っておたまじゃくしを取ったり、裸足で道路を走り回り「原始人」と呼ばれたりと、ものすごく好奇心旺盛な少年でした。

田舎なのでテレビゲームで遊ぶという感じではなく、秘密基地を作ったり、かくれんぼをしたりと野外をかけまわる遊びをしていましたね。

 

一方で家庭内はと言うと、めちゃくちゃ厳しいお母さんに育てられました。

家の外に締め出されて、扉の前で泣きわめくなんて日常茶飯事。悪いことをすると身体で痛みとして覚えさせられました。

当時はこの世で1番恐い存在はお母さんでしたね。今振り返っても、だいぶスパルタ教育だったと思います。笑

 

でも、そんな恐いお母さんが作る料理はおいしくて、甘じょっぱく煮付けられた厚揚げにマヨネーズをつけて食べた味は今でも鮮明に覚えています。(マニアック)

例外なく食事にも厳しいお母さんには、料理を食べ残せばもちろん怒られ、好き嫌いなく育ててもらいました。今では、本当に感謝しています。

 

そして、実は「料理人になりたい」と思ったルーツはこの頃にあります。

小学校低学年の頃に、家族で餃子作りをしたことあったんですよね。その餃子作りが楽しくて楽しくて、そして家族が美味しそうに食べているのを見て、ものすごく幸福感を感じたことを幼心に覚えています。

 

こういった原体験が積もり重なっていつしか「料理人」という夢を持つことになりました。

 

そんな少年期を過ごしていたぼくは、ある時を境に自分の中にある好奇心にフタをするようになります。

小学3年の夏に訪れた『両親の別居』です。

父と離れて母方の地元である高崎に引っ越すということももちろんなのですが、正直言うと、それ以上に今まで仲良くしていた友達と離れ離れになること、また1から友達作りをしなくちゃいけないことが嫌で嫌で泣きわめいた記憶があります。

 

 

結局、小学6年の時に両親は離婚することになりました。つまりは、世間一般に言う「母子家庭」の完成です。

母は朝から夜まで、弱々しい身体ながらも一生懸命に働いてくれました。

ぼくと姉は、自分で出来ることは全部やりました。掃除・洗濯・炊事。欲しいものがあっても買ってもらえない、行きたい場所があっても行くことはできない。

両親が離婚する前も、県外の海なんかに行ったことはあっても泊りがけでどこかに行った記憶はないし、両親が離婚してからは群馬県内から出たことはありません。

夏休み明けに学校に行くと、友達は家族で泊りがけで遠出したと聞いて心の底から羨ましさを感じました。

 

そんなぼくはいつしか自分の好奇心にフタをして、あらゆる願望を自分の中で殺すようにしました。その方が、幼いぼくにとってはものすごく精神的に楽だったんですよね。

 

でも、ひとつだけある願望をしっかりと自分の心に刻みました。

それは、自分でお金が稼げるようになったら、心の底からヤリタイコトに素直になって、自分の好奇心に従って生きよう、と。

 

登りたい!と思ったから、日本一の山である富士山に登ってみたら

富士頂上からのご来光

いつしか高校も卒業して、自分が好きで楽しいと感じるアルバイトでお金を稼いで、そのお金で行きたい場所に行って、ある程度欲しいものは自分で買えるようになりました。

そんな充実した日々を送っていたある日、こんなツイートを見かけました。

 

富士山100人登り隊2014
【拡散希望】
富士100今年も開催!いよいよ、熱い夏が
やってくる!入隊希望者へ告ぐ!

〈応募開始〉6月1 (日) 20:00〜
〈結果発表〉6月10 (火)12:00〜
※先着70名様は参加確定!
それ以降の方は抽選!!

 

簡単に説明すると、「富士山に100人で登ろうよ!募集を開始するよ!」といった内容。

このツイートを見た瞬間に「登りたい!」って思いました。本当に純粋に。お得意の好奇心ですね。だから、友達を1人誘って応募してみることにしました。(1人は勇気なかった笑)

この団体は、学生の有志により運営されていて、いろんな経験をしているメンバーと出会えることができました。

 

富士山に登ると《人生観が変わる》なんて表現されることがあります。富士の自然と人間という存在を対比して、人間の悩みや存在そのものが、ちっぽけでくだらないと感じるみたいです。

登頂後、ぼくはそんなことは一切感じませんでした。(そもそも悩まない性格だから)じゃあ、この富士山登頂によって自分の中で何に気づいたか?

それは、好奇心に素直になることの大切さ。小さい頃に誓った人生のキーワードの大切さに改めて気づいたんです。

 

富士山に登りたい!って思ったから登りました。単純ですよね。

でも、「登山したことないからな」「体力ないからな」そう言って、子供から大人になるにつれてヒトはどこか理由をつけて「登りたい」という単純明快な自分の好奇心にフタをするようになります。

でも、やっぱり好奇心に素直になった方が人生楽しいなって感じました。イベントを通しての人との出会いだったり、今まで見た中で1番綺麗な星空への感動、9時間かけて登頂したことで感じる達成感。本当に色んな感情に触れることができました。

 

 

そして、この富士登山がきっかけの出会いで、飛行機にも乗ったことがないぼくは海外に足を踏み入れることになります。

この富士登山は、間違いなくぼくのターニングポイントのひとつです。

 

世界一周経験者に出会い、世界一周に行く人に出会った。そして、ぼくも旅に出た。

富士登山を共にしたメンバーの中に、世界一周経験者の人がいました。「世界一周」なんて言葉は初めて聞いたし、そんなことが可能なのかよと思うのと同時に、自分の中でものすごく興味が湧きました。

 

左から3番目、当時20歳。素敵なメンバーと共に。

富士登山から約半年後。Facebookでこんな投稿を目にしました。

「大学を休学して世界一周します。」

実は、この人も富士登山で出会った人でした。

 

この投稿を見た瞬間、「俺もやる!やらない理由がない!」そんな風に思って、世界一周をしようと決めました。これまた単純で「自分が見たことのない景色を見たいから」ってゆうシンプルな理由で。

富士登山での経験は、本当に自分に自信を与えてくれました。自分の好奇心を信じて行動すれば、『絶対に自分の人生は良い方向に舵を切れる』そう確信できるようになったのです。

だから、この世界一周も自分に大きな影響をもたらしてくれるず。

そして、この投稿を見た約半年後。
ぼくは人生初の飛行機で手に汗を握り、これまた人生初の海外に足を踏み入れることになったのです。

 

3ヶ月間の東南アジア5ヶ国とアメリカのサンディエゴ2週間で、ぼくが思い描いていた世界一周は幕を閉じた

一番左。語学学校の屋上にて。

人生初の海外はフィリピンのセブ島。せっかく海外を旅するなら英語を使って、現地の人たちと会話がしたいと思って、1ヶ月間の短期留学を受けることにしたのです。

この留学中の1ヶ月は今までの人生史上で一番色濃く楽しい時間でした。

貧困層の多いフィリピンでの日常生活、テレビでしか見たことのなかったストリートチルドレンの実態、語学学校でともに勉強をした韓国人たちとの文化交流。日本各地から時を同じくして異国の地で出会った友達との出会い。

 

カメラを向けると笑顔でポーズをとってくれるフィリピン・カモテス島の子供たち

今まで日本という島国でしか過ごしたことのないぼくにとっては、あまりにも感じることの多い刺激的な1ヶ月を過ごしました。

その後は、東南アジアの5ヶ国を周って一時帰国をして、次はアメリカのサンディエゴに降り立つことに。

しかし、サンディエゴに到着して10日ほど経ったある日、日本から一本の電話が。叔父が亡くなったとの訃報でした。ぼくは叔父にお世話になっていたので、めちゃくちゃ悔しかったけど、自分の中で世界一周は一度終わりにしようと決め、不本意な形で日本に帰国することになったのです。

 

サンディエゴの夕陽。オーシャンビーチ。

末期ガンの母はギリギリまで働き続けた、そんな人が死ぬわけないって思ってた

帰国後、またタイミングを見計らって海外に行こうと思っていました。

しかし、今度は母の体調が徐々に悪くなってきたため、今海外に行ったら絶対に後悔することになると思い世界一周再開は断念することに。

 

というのも、ぼくが世界一周すると決めた1年ほど前に、母は「直腸ガン」のファイナルステージだと診断されていたのです。

 

そんな母は一時的な入院を何度かしたものの、次第に仕事に復帰できるまでになり、自分がガン患者であるにもかかわらず、お年寄りの介護をするヘルパーとして毎日働き続けました。

でも、体調が良くなったと言っても、けっしてガンが消え去ったワケではないんですよね。うまくガンと共存できていたというだけで、着実に死に向かっていました。それでも「この人たち(老人の方々)には私がいなきゃダメなの」と華奢な身体でありながらも雨の日も雪の日も仕事に向かいました。

 

そういった状況の中でも働く母を見て「この人が死ぬわけない、ありえない」とぼくは現実に目を背けていました。というか、信じたくなかったんです。今考えれば、ものすごく無責任だし、当時の自分にはもっと何かできることがあったんじゃないかと思うと悔しくてたまりません。

 

結局、ぼくが海外から帰ってきた5ヶ月後、母は53歳という若さでこの世を去りました。

 

温泉に連れて行ってあげたかった。美味しいご飯を作ってあげたかった。孫の顔を見せてあげたかった。まだまだ何にも親孝行できてない。

お母さんが亡くなった後しばらくの間は、本当に自分との戦いで、現実と向き合うのに必死でした。(なんなら、未だにどこか同じ空の下にいるとすら思っているくらいにお母さんがこの世にいないという実感はない)

 

色々と自分と向き合って考え出した答えはひとつです。

 

自分のヤリタイコトをヤル。

 

今この瞬間を精一杯生きる。

ぼく自身が母から授かったこの命を全うすることこそが、お母さんに対してできる最大の親孝行なんだと確信しています。

だから、小さい頃に誓った「好奇心に従って、ヤリタイコトをヤル」それだけなんです。

 

料理しかできなかった青年が少しばかりのweb知識を得た

真っ黒焦げの22歳、千葉の田舎にて

お母さんが亡くなった後も、高校の時からのアルバイト先で働く日々は続きます。

そんな代わり映えのない生活を送っていたある日、Facebookでキングコング西野さんのある記事を見かけました。

参考:キンコン西野が「収入アップの法則」を解説 稼ぎ続けている人は何をしているのか?

 

この記事には、「100人に1人のスキルを3つ掛け合わせて、100×100×100=100万人に1人の存在になろう!自分をレアカード化しようよ!そうすれば仕事の広がりができてお金は稼げるよ!」

わかりやすく要約すると、こんな内容のことが書いてありました。

 

もうね、目からウロコが飛び散りましたね。飲食業界という狭い業界を駆けあがろうとしていた自分にとってはあまりにも衝撃的でした。でも、飲食業界で長く働いく中で薄々感じてはいたことなんですよね。

料理人という職業の人は掃いて捨てるほどいて、給料も低くて休みも少ない。そんな中でいかにして自分を他者と差別化して、スキルアップすべきなのか。

ぼくはこの記事を読むまでは、シンプルに料理のことをたくさん勉強して知識をつけることこそが、自分のスキルアップへの道筋だと思っていました。でも、それって永遠の足し算で、1から積み上げていくのは容易なことじゃないし、ものすごく大変なことなんですよね。

 

「あ、掛け算すれば、自分のスキルのスピード感が全然違ってくるじゃん!」そう感じることができたのは、自分の中での大きなターニングポイントです。

 

少しばかり時が経って、またまたFacebookを眺めていたら、タイのチェンマイで出会った日本人の方が「千葉の田舎でweb知識を勉強する1ヶ月間の講座に参加してきました!」という趣旨の投稿を見かけました。

 

これだ!料理 × webで料理人としての幅を広げよう!

 

そんなこんなで直感的に「田舎フリーランス養成講座4期」に参加することを決めました。(なんだか前にも同じくだりがあったような…笑)

 

結果的には、この1ヶ月間の講座をきっかけに今書いているブログを書き始めましたし、講座はそのまま約半年間プチ移住することに決めました。

 

 

飲食業界という狭い世界でしか生きてこなかったぼくにとっては、あまりにも濃厚すぎる半年間であり、この半年間がなかったら今の自分はいないと言っても過言ではありません。

そして現在24歳料理人、都内の飲食店で働いています!

ぼくは現在、縁あって都内の熟成肉を扱うお店で働いています。

料理人という職業は小学生の頃からの夢で、毎日やりたい仕事ができていることへの充実感だったり、今いる会社でのこの先の未来が楽しみでワクワクが止まりません。

まずは、いち料理人としてレベルアップしていくことが、今ぼくがやるべきことだと思っています。それと同時に個人としての発信力、売上向上のマーケティング力、美的センス、多くのスキルを磨いていく必要があります。

 

ぼくは、料理を黙々と作るだけの料理人にはなりたくありません。自分の中にある様々な好奇心、そして大好きな料理を組み合わせた仕事をして、一度きりの人生を堪能していきます。

 

料理人のぼくがブログを始めた理由とコンセプト

ズバリ!自分をレアカード化するための手段です。

上で紹介したキングコング西野さんの記事に書いてあったように、料理と何を掛けたら自分の希少性をあげられるか考えた際にブログとの相性の良さを感じたことがキッカケ。

 

でも、正直言って、ブログには料理のことを書いた記事はありません。(この先書くかもしれないけど)
どちらかというと、いち個人としての発信力や集客力を身につけるためのブログ運営です。

どこにでもいるような料理人がもうひとつの武器として発信力をつけた時に、きっと自分の目線はグッと高くなると思うんですよね。その目線の先には一体どんな世界が待っているのか。これが気になって仕方ありません。(好奇心)

 

そして、せっかくブログを運営するならコンセプトをつけようと思って、当ブログのタイトル【One Step】からわかる通り、あなたの一歩を踏み出してもらえるようなブログを目指してマイペースながら運営しています。

ぼくは『One Step』という言葉が大好きで、高校生の頃からメールアドレスなんかにも使っていました。

小さな頃の家庭環境の影響から自分の中にある好奇心にフタをして生きてきて、やっと自立し始めた高校生くらいの時にそのフタを投げ捨てて、それからは好奇心に従って今まで生きてきました。

 

でも、ぼくの周りを見渡すと、真逆の人が多い気がするんです。

小さな頃は自分の思うままの好奇心と共に生きてきて、いつしか歳を重ねるごとにくだらないプライドや恥じらいが邪魔をして好奇心に素直になれない。

そんな人を多く見てきて思うんです。

一歩でいいから踏み出してみようよ、って。

その一歩の内容がどんなに小さくたっていい。今はほんの小さな一歩かもしれません。でも、人生を大きな目で俯瞰して見た時に、その一歩は大きな大きなターニングポイントになりうるんです。

これは、ぼくがたった今、自分の人生をこうして振り返ってみて感じたことです。

ぼくは、その小さな一歩のほんの些細な手助けが、このブログを通してできれば嬉しく思います。

 

\ぜひフォローよろしくお願いします/

 

 

Twitterにてプロの料理人ならではのテクニック・ノウハウ、食事から変える健康法、20代の料理人の考え方を中心につぶやいています。

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2 件のコメント

  • お世話になっております。
    株式会社UZUZの水野と申します。

    ウズウズカレッジの案件をご掲載いただいておりましてありがとうございます。

    この度は一点ご相談がございましてご連絡いたしました。

    詳細を下記に記載いたしますのでご確認をお願いできますと幸いでございます。
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    お手数おかけしますが、
    ご確認のほどよろしくお願いいたします。

    水野

  • 中国杭州で居酒屋をしている中村と申します。

    おおつさんは面白い人だなーと思いながらブログを拝見させていただいていおります。
    私が経営する居酒屋で料理長兼店長が退職することになり、日本の調理師学校や求人サイトで
    募集しているのですが、海外ということもあり1件も募集がありませんでした。
    そこでおおつさんのブログを思い出して今回このコメント欄に書き込んでおります。
    料理長兼店長を探しているのですが、興味はありませんか?

    中国語能力は一切必要ありません。大体の日本人は普通の方でも3ヶ月で中国語を話せるようになります。
    労働条件は月収21万、11時間労働 毎週土曜日曜はお休みです。
    お店の状態は売上月350万円 利益35万円 客層は8割日本人 2割中国人です。
    勤務スタッフ 平均年齢29歳 日本人2人 中国人10人。
    中国語を話せる料理人は少なく、よりレアな料理人になっておおつさんの市場価値がすごく高くなると思います。
    私個人の意見として将来何をやるにしても中国語を話せるか話せないかで進む道は全く違うものになると思います。
    ではもし興味がありましたらメールに返信いただきたいです。

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