調理師免許に価値はない!肩書きに捉われず、個人の力で生きていく

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ぼくは以前、こんな記事を書きました。

高卒料理人が物申す!調理師専門学校に行く必要なんかないよって話

高校卒業後も、高校1年の頃からアルバイトとして働いていた日本料理屋の厨房で働き続けることに。

小学生の頃からの夢である料理人になるために、あえて、専門学校への道は選びませんでした。

調理師免許を取るには

厚生労働大臣が指定する調理師養成施設に1年以上通って卒業する

中学校卒業後、2年以上の調理業務に従事することを受験資格とし、都道府県知事が行う試験に合格する

ぼくは後者を選び、つい先日、調理師試験の合格通知書が届きました。

 試験勉強は1ヶ月間のみ

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ぼくは1ヶ月間しか試験の勉強をしていません。

自慢なんかではなく、実際に参考書に書かれていることのほとんどが現場での仕事とは関係のないことばかりで、全然やる気が出なかったんですよね。

親や学校の先生には「独学で勉強して、調理師免許を取る!」なんて、端から聞いたらカッコつけたことを言って、高校を卒業しました。

宣言したからには、合格しないとカッコがつきません。

だから、すごくジレンマを抱えながら、なんとか参考書を読み終えました。

あとは過去問を3年間分やっただけ。

でも、受かっちゃったんですよ。

もちろん、現場で働く上で得られる知識も、問題としてテストに出るので、下地はある状態でしたけど。

それでも、こんな1ヶ月間の勉強でいいんだ。専門学校1年間かけて学ぶのはアホらしいなんて思いました。

そんな簡単に受かってしまうような国家資格に、あなたは価値を感じられますか?

調理師免許に価値はない?

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調理師免許は国家資格ではあるものの、免許がなければ飲食店の厨房で働けないというものではないんです。

実際に、ぼくが働いていた日本料理屋の料理長ですら調理師免許を持っていませんでした。

さらには、調理師免許を持っていなくても、飲食店を開業することもできちゃいます。

講習を2日間もしくは1日だけ受講すれば得られる「食品衛生責任者」「防火管理者

この2つの資格を持っていれば良いんです。

調理師免許を持っていることの最大のメリットは、調理師だと名乗れるということくらい。

つまりは肩書きを得られるんですよね。

名称の独占と言って、調理師免許を持っていない人は、調理師だと名乗ってはいけないことになっています。

一応、法律で定められています。

肩書きに捉われない生き方

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先日、こんな記事を見かけました。

toyokeizai.net

最近お茶の間を賑わすことが多い、お笑い芸人のキングコング西野さん。西野さんの考え方がぼくは大好きで、いつも考えさせられています。

西野さんは記事の中で、こんなことを言っています。

――個人の名前でそのまま仕事ができる時代に、肩書で行動に制約をつけることは大きなリスクになりえる、と。

そう。だから、肩書にこだわることはやばいんです。「お前、何屋さんなの?」ってすぐ聞きたがる感じとか、自分は何屋さんか言えないとちょっと後ろめたい気持ちになっちゃう、あの感じを、もう手放さないとやばい。でも、怒られるんですよね、そういうことを言うと……。

この考え方は、日本のこれからの働き方に沿っていている考え方なんだなと納得させられました。

昨今の、企業における過酷な労働環境の見直し、大企業の副業の容認 。

これらの話題からも考えられるように、これからはもっと多種多様な働き方が日本の社会に普及していくように思うんですよね。

会社の後ろ盾なく生きていかなければ、時代の流れに取り残されていってしまうんではないかと…。

時代の流れに乗るためには、個人の力が必要不可欠なんじゃないでしょうか?

そんな時に邪魔になってくるのが肩書きというもの。もちろん肩書きがあることによるメリットもたくさんあると思うんです。

何をやっている人なのかがわかりやすい

仕事仲間が出来やすい

肩書きによる責任感

肩書きに追いつこうとする推進力

もちろん、肩書きはあって損をするものではないと思います。

でも、自分の肩書きに過信して、肩書きに捉われてしまうのは良くないことだと思うんです。

個人の力をつけていくには、『自分は何者でもない』と思うこと。

何事にも好奇心旺盛に、そして常に知識を吸収してやろうというスタンスが大切で、それが自分を成長させてくれる大きな原動力となります。

個人の力で生きていく

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ぼくは調理師という肩書きを名乗ることができます。

でも、調理師なんて世の中にごまんといるのも事実で、大した肩書きではありません。

だからぼくは、『おおつゆうと』いち個人として、料理に携わることに貪欲に取り組んでいきたいと思います。

小さい頃からの夢である料理人。

↓↓↓参考記事↓↓↓

切手のない贈り物が与えてくれたハートフルな物語 

やっとスタートラインに立てたのかもしれないけれど、まだカタチとして何も成し得ていません。

たかだか数年間修行しただけの小僧が大成できるような、そんな甘い業界ではありません。

この先、料理人として一人前に飯が食えるようになるには、圧倒的に経験値が足りないと自覚しています。

そこで、今年1年の試みとして、出張料理人をやってみようと決めました。

ぼくという個人の料理だから食べたいと思ってもらえるような。

人目に触れる場所で公言することで、自分を追い込みます。

そうでもしないと、いつまで経っても、自分の頭でひたすら考えるだけでチャレンジしないと思ったから。

正直、ぼくの調理技術はまだまだです。

でも、それをカバー出来るのがケータリング業務においての、お客さんへの思いやりだったり、空間作りなのかなあと。

もちろん、実績もありません。

でも、実績は作っていくものだし、やらなければ何も始まりません。

ぼくの周りには頼もしくカッコイイ大人たちがたくさんいます。

謙虚な姿勢で、そんな人たちのアドバイスを聞いて取り組みたいと思います。

ぜひお力添えいただけたら嬉しいです!(今からアピール)

『出来ない』と『やらない』の違い

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他人が言う「どーせ無理」という言葉は、ぼくは気にしません。

そして、自分の中での「どーせ無理」も決して出来ないことではないとわかりました。

出来ないと思っていたことに取り組むうちに、自分の頭で考えて学習して、知識とノウハウは蓄積されていきます。

次第に「出来ない」と思っていたことは「出来る」に変化していく。

ぼくらが「出来ない」と口に出すときの真意は、ただ単に「やらない」だけなんだと気付きました。

さいごに

まだ、どういったカタチで【出張料理人】に取り組むかは決めきれていません。

これからじっくり考えて、ここぞという時に行動していきます。

昨年と同様に、色んな場所に出向き、人と会い、話を聞く。

これを意識して今年も生きていきます!

今年も好奇心に従って。

以上、「調理師免許に価値はない!肩書きに捉われず、個人の力で生きていく」でした!

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